リアルが好き様からの入魂の投稿

少々加筆/修正を加えています。


part1

Analog Video Discの所で出ているVHDについてですが、その普及しなかった理由を考えてみました。

 1.発売前に大きく騒いでいたのに発売時期が延期してしまった(小理由)
 2.再生中よく針飛びを起こす(大理由)
 3.CDに対抗してAHDを出した物のCD位の扱い易さとコンパクトさはなかった(大理由)
 4.再生の画質は水平解像度を抜きに考えて接触方式によるサーフェイスノイズが画面にでて大画面であればあるほど気になる(中理由)
など、以上です。

2番目に取り上げた針飛びするという事ですが、これはディスクによってはあまりしないものがあります。
例えば初期のビクター製のディスクはよく飛ぶし、ソニー製のディスクはあまり飛びません。
というかほとんど無に近かったです。
この理由として考えられることがあります。
一つはディスク製造不良によるもの、もう一つはプレーヤー側の針自体の構造不良によるものがあります。
最初にディスクの製造による理由があるのはビデオディスクの複製にオーディオディスク(アナログレコード)のラインを流用したところからです。
VHDディスクはレーザー方式ディスクとほぼ同じコンプレッション・インジェクト方式(間違っていたら御免なさいね。)だが、違うところは一度のプレスにより両面出来ることと塩化ビニール+カーボン+シリコンオイルからディスクが成り立っていることです。
ただし、専用の工場をこしらえたレーザー方式と違い、従来のアナログレコードプレス工場を改良してできた工場でプレスをして作ったのでこのレコードプレス工場を改良したシステムで生産したことが不良ディスクを生む一番大きい原因だったのでしょう。
ビクター製のVHDディスク製造工程では防塵ルームではあるがCD,LDプレス工場に比べればはるかホコリが入りやすくなるわけで、それが原因で質の悪いディスクができやすくなったのかもしれません。
その点、ソニー製のディスクが針が飛びにくいという原因としてLD,CDプレス工場で製造していたからかもしれません。
次にプレーヤーの針(センサー)ですがこれは製造,メンテも考えてのシンプルな構造にしたために逆に精度が緩いものになっていました。
いかんせん、それが針飛びしやすい原因となったのかもしれません。
何せほとんど支えがプルプルとした物になっているので、これで質の悪いディスクを再生したら、それはもう針飛びのオンパレードになりました。
ビジュアルサーチするとなかなか針が進まず目的の画面に到達するまで時間が掛かるし、コマ送りにすると針が飛ぶ部分に差し掛かると本当に針がどこかに飛んでしまい別な画面になってしまうというそれはそれはもうお粗末なサーチ能力でした。
針に関して言えばもうちょっと針飛びしない構造にしてもらいたかったと思います。

VHDは悪いところばかりのようですが良いところもあります。
それは当時LDソフト一枚の価格が¥10000の相場であった頃、VHDソフトは¥6800が一般的でした。
そのためLDでは価格が高いのでいくら保存性,画質ともピカイチとはいってもソフトの内容が悪かったりすると本当に損をした人が結構いたのではと思います。
まさに博打に近い状態です。
まあ、今で言うならHDLDみたいなもんですよね。

また、実はビクターはビデオディスク開発初期にはレーザー陣営につくか、CED陣営につくか、迷っていたそうです。
当時レーザー陣営はピックアップ部がガスレーザーが主流で、しかも70年代の頃は発振装置も含めてピックアップ部は相当大きかった。
その後、80年代にパイオニアの涙ぐましい努力のおかげでコンパクトな半導体レーザーを用いたピックアップになりました。
ちなみにMCAの開発中の(初期中の初期)プレーヤーはドライブ部とデコード部は別々でしかも再生中はレーザーピックアップ部が動くのではなくターンテーブルの方が左右に横移動していたそうです。
(もちろんアメリカ先行試験販売および初期の業務用プレ−ヤ−でもです。)
おっと話がそれすぎてしまった。
このころビクターにはプレーヤーはコンパクトでなければいけないという考えがあったので当然レーザー方式では短波長のアルゴンレーザーの使用の考えに行き着くわけでした。

【筆者加筆】

リアルが好き様が小理由と書いている発売時期に関してのデータ。
当初はVHD方式もレーザー方式と同時期の1981年秋に発売することになっていたが、オーディオ不況の風の中、発売延期を繰り返し、実際に発売されたのは一年半も遅れた1983年4月であった。
この間にアメリカでのRCA社の苦戦が伝えられていたので、日本国内にビデオディスクを発売することへのためらいがあったのかもしれない。
消費者側もわざわざ先行しているレーザー方式に傾かずに、財布の紐を締めてしまった経緯もある。


part2

しかしながら前述のように当時のガスレーザーは大きく不安定でHe-Neレーザーならいざ知らず、とりわけアルゴンレーザーですからなおさらです。
そのため断念せざるをえなく途方に暮れていました。
それならと、レーザー方式とCED方式との良いところを用いてやってみようということでVHD方式が誕生しました。
ビクターの親会社である松下も自社で開発していたVISC方式をやめてVHD方式に参画して開発が続きました。
この時すでに圧電接触技術は完成の域に達していたし、その完成度も高かった。
それなのに自社開発のVISC方式を放棄してVHD方式に松下が鞍替えしたのはVHD方式に長所が多かったからに他なりません。

試作品ではディスク直径は30cmでした。
ただ、この時はディスク自体の構造がカーボン非混入なので当然アルミ蒸着という形となりトラックピッチは1.4マイクロメートルとなり、しかもディスク保護のためのケースはなかったと思われます。
収録時間はたぶん片面で60分位であろうと思われます。(但し900r.p.mで。)
次の段階としてディスク直径を17cmとし、カーボン混入の形で行いトラックピッチを1.35マイクロメートルとし、収録時間を30分にしたそうです。

VHD方式最大の特徴としては接触ながらもHDDの様にランダムアクセスが容易でしかもNTSC、PAL、SECAM対応の互換があり万が一輸入盤を購入しても再生が可能であるという他のビデオディスクの方式からすれば一歩進んだ物でした。
CED方式開発メーカーのRCAの技術者たちはVHDを見て「これは素晴らしい」と高い評価を下したが当時の社長さんはすでにCED方式に莫大な開発資金をかけているのでその資金を回収したくて強硬に自社開発のCED方式を押し進めて発売したが後は、惨澹たるものでした。
これがRCA社の破滅への序曲でした。
CED方式ではディスク記録面はアルミ蒸着かカーボン混入型か、電子銃カッティングか機械式カッティングかなど仕様が二転三転したものですから自然淘汰されてしかたがなかったかもしれません。
もっとも早い時期から出しておいてなおかつ業務用の保存ライブラリー用に放送局で用いるように売り込んでいれば結構残っていたのかもしれません。

さて、VHDは上記の通りNTSC,PAL,SECAM対応としていたのですが、これは再生回転数を変えることにより水平同期を合わせるNTSC>PAL、SECAM PAL、SECAM>NTSCの再生が可能であった。
ただし垂直同期までは合わせられないので再生時、画面が若干の伸び縮みがあるそうである。
しかし、ついぞPAL/SECAM-VHDは出ませんでした。
異なるテレビ方式のディスクを再生できるという利点はCAV方式のなせる技でしょう。
それではLDのCAVディスクはというと、こちらでも再生互換を取ることは可能かもしれません。
ところがLDはダイレクトカラー記録方式をとっているので、変換アダプタで行った方が良いと言うことになります。
元々テレビ方式はカラー信号が違いますからね。
ところでVHDのカラーというと低域変換記録らしく、しかもPAL,NTSC,SECAMに関係なく記録している様なのでこれで初めて可能になると思います。

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